自分の身近で起こっていること、身近にいる人のことを「本気で考える」ということ

ところで、神社などでおみくじを引いたことがありますか。そして、引いたおみくじの内容をどこまで覚えていますか。僕はおみくじを引いてから、数日はその内容を覚えているのですが、じきに忘れてしまいます。

おみくじの内容を忘れないように持ち帰っています

せっかく引いたおみくじの内容を忘れるのはもったいないんで、どんな結果が書いてあっても、毎回持ち帰ってあとで見返しができるようにしています。

先日もそうでした。今年の11月に大阪に出張にいってきたのですが、その時に立ち寄った「露天神社(つゆのてんじんじゃ)」で、例によっておみくじを引いて持ち帰ってきました。

結果は大吉で、しかも1番でした。やったね!

「大吉+1番」という、縁起が良さそうなコンボで舞い上がりました

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おみくじに気になる言葉がありました

おみくじに書かれている内容をまじまじと読んでいたのですが、その中で気になる言葉がありました。

気になる言葉

博く学びて篤く志し 切に問いて近くを思う 仁、その中に在り

この言葉について少し調べると、論語の「子張第十九の六」の中に出てくる言葉で、漢文では以下のように書かれています。

漢文だとこう書く

博學而篤志 切問而近思 仁在其中矣

字面でなんとなく意味はわかりそうなんだけど・・・漢文が読めない!

現代風に訳するとどうなるの?言葉の意味を知りたい

ちゃんと知りたいので調べましたが、人によって解釈が違うみたいです。明確に「これだ!」っていうのはなさそうですね。

例えば、下村湖人さんの「現代訳論語(日本ではパブリックドメインになっている作品で、Kindleだと無料で読めます)」によると、

ひろく学んで見聞をゆたかにし、理想を追求して一心不乱になり、疑問が生じたら切実に師友の教えを求め、すべてを自分の実践上の事として工夫するならば、最高の徳たる仁は自然にその中から発展するであろう

と訳しています。金谷治さんの「論語 (岩波文庫 青202-1)」によると、もう少し簡潔に訳されています。(権利関係によって文は載せられないので、興味がありましたら購入をおすすめします。)

どちらも大筋では似たような解釈かもしれませんが、微妙な表現の違いによって理解の仕方も変わってきます。(「解釈」と「理解」は意味合いが違いますよね)

こうなってくると、現代語訳されてもまだまだ難しいと感じる・・・いったいどういう意味なんだろ。

自分なりの解釈をして、理解してみる

いろんな解釈があるってことがわかったので「じゃあ自分なりに解釈して、理解すればOKだよね」という考えに至りました。

博く学びて篤く志し 切に問いて近くを思う 仁、その中に在り

この言葉の意味を、僕は以下のように考えています。

博く学びて篤く志し

「生涯学習」って言葉がありますよね。今の自分の考え方や生き方が形成された背景には「学習」が密接に関係していると思います。その学習を、生涯を通して可能な限り続けていきたいと思っています。

これを端的に表現すると「学習の連続」ってやつなんでしょうかね。

また、「遊び方を学ぶ」「考え方を学ぶ」「風土を学ぶ」「手法を学ぶ」「人について学ぶ」といった「学習を特定分野に絞るのではなくて、いろんな場所や人、特に未体験ゾーンに入ることで、新しい考えや生き方のヒントを得て、自分の根幹となる考え方や生き方を補強して、さらに飛躍していこう。」

という解釈と理解をしました。

切に問いて近くを思う

世の中で起こっている様々な出来事を、自分の身近で起こっている事柄までスケールさせて「なぜそんなことが起こるのか」「どの時点で起こっているのか」などを真剣に考えて、自分が信頼できる人や親身になって考えてくれる人の知恵や力を借りて解決していこう。

という解釈と理解をしました。

仁、その中に在り

「切に問いて近くを思う」を心がける上で、どうしても関係してくるのが「人」や「事柄」だと思います。特に「人」かな〜とは思っています。

人のこと考える。人の気持ちを考えられる。そういったことができるのは、これまでの学習の蓄積があってこそじゃないですかね。別の表現をすると「知識や経験が少ないとできない」はずです。そこで「博く学びて篤く志し」に結びつくんだと思います。

そして、この一連の過程の中に「仁(じん)」をみつけることができる、という解釈と理解をしました。

「仁」について

論語では「仁」という言葉が何度も出てきますが、明確な定義はされていないです。あえて定義しないし、定義できないんじゃないかと感じます。人それぞれ、好き勝手な解釈をしています。

よく「人を愛すること」「人のことを思うこと」などと定義されることがあるようですが、実際どうなんでしょうか。「人」に大きく関係していることは理解できるのですが、今の時点での僕は「仁」という言葉を定義付けるに足る表現はできませんので、それはつまり、知識や経験が足りていないってことなんでしょうね。

ただ、身近で起こっていること、身近にいる人のことを「本気で考える」ことによって芽生える感情こそが「仁」なのかな〜なんて思います。ここ最近は、ですが。

それが「人を愛すること」「人のことを思うこと」に近しい感情だったりするんで、よく見かける解釈なのかもしれないです。(この解釈が頭の中で受け入れやすくなっているので、よく見かけると思い込んでいるだけかもしれないですが)

とはいえ、自分にとっての「仁」は明日見つかることかもしれませんし、一生かかってようやくぼんやりと見えてくるものなのかもしれないな、とは思っています。

自分の感情に気がつくことの難しさを実感しています。

普段なら見逃していた「たった数文字」の中から自分を見つける

おみくじに書かれた「たった数文字について調べただけ」なんですが、こうして文章にすることで「自分ってこんな考え方や生き方をしているんだな」と気がつくことができました。

普段引いているおみくじの内容ならこんなことは書かなかったと思うんですが、「大吉+1番」に何か特別なものを見出そうとしていたのかもしれないですね。なんでこんなことを書こうと思ったのかどうかも、いまだにはっきりしていません。

「いま自分の身の周り起こっていることは、起こるべくして起こっている」なんて言葉をよく見聞きしますが、このおみくじが自分の手元にあるのも何かの縁だと思って、今年の残り数日と来年、さらにその先に向けて「博く学びて篤く志し 切に問いて近くを思う 仁、その中に在り」を改めて意識して、ただただ遂行してみようと思います。

「自分のことを知る」ってのは難しい事だけど、すごく楽しいと感じます。おみくじを引いた甲斐がありましたし、僕にとっては特別な「大吉」でした。

今日もまた、自分の身近な家族や友人、仕事で関わる人たちの顔を思い浮かべながら「この人のことをもっと知りたい」「この人と楽しくお酒を飲んでみよう」「この人に必要とされるなら力を貸したいな。そのためにもっといろんなことができるようになりたいな」なんて考えたりしています。そうやって考えていること、そのものに幸せを感じることもあります。

来年もまた、おみくじを引こうっと!

日記でした。

著者:bouya Imamura